091023_game.addictjpg


米Kotakuマイク記者の告白です。時に長時間のゲームは楽しいけれど、こんな結果になるなんて。

―――――――

レベル40は嫌いだったのよ」と、彼女が溜め息まじりに言ったのが、8年もの歳月が経った後で、初めて出た言葉でした。彼女は、あの夜の事を忘れていなかったのですね...私が『Ever Quest』のレベル上げに夢中で彼女に素っ気なくしていた事を。

私がKotakuで働いていた間、『Ever Quest』をプレイしていた日々を思い出していましたが、当時自分自身が落ち込んでいた事について、まわりに一度も説明した事がありませんでした。しかし最近の出来事がその当時の事を呼び起こし、自分の経験を読者の皆さんと分かち合おうと決めました。

2000年11月、私の人生は上手く行っていました。カワイイ彼女、車、生活に十分な給料がもらえる仕事がある一方で、高価なビデオゲームに費やす時間は増えていったのでした。しかしその後の4ヶ月の内に、その順調な生活は消えて行きました。

―――――――

マイク記者の独白はまだまだ続きます。
 


 


  • はじまりは善意から

当時、私はダスティンというルームメイトと一緒にアパートに住んでいました。ダスティンは良い友達でしたが、ほとんどの時間、彼はコンピューターの前に座っているか、『Ever Quest』と言うゲームをしているかでした。私もかつてはソニーのマルチプレイヤーゲームのベータ版に参加するほどでしたが、そのゲームがライヴになった後、すっかり興味を無くしました。どうしても、自分が月額料を払ってまでゲームをしている姿が想像出来なかったのです。

当時、私はとくに何もする事なく、ダスティンがゲームをしている様子を眺めていました。彼は、自分のモンクというキャラが何をしているのか説明してくれました。私は彼がゲームを続行しながら、死を取り扱う事をおぼえ、新しい武器を持ち、レベルが上がるとともに難しくなる挑戦に挑む姿をみていました。

私はガールフレンドのエミリーと一緒にいない時は、ダスティンがゲームしているのをみていました。もしくは、テキストベースのMUSH(Multi-User Shared Hack)やMOO(Multiplayer Online Object)のような、世界中の人とできるロールプレイングゲームで遊んでいました。私が若かった時、SFやファンタシー、漫画にハマっていたため、想像の世界に入る事は難しくありませんでした。そのお陰か、むしろ入り込むのは簡単すぎたのかもしれません。

2000年末に近づいた頃、私はとうとうエミリーと別れました。その理由はあまりにもバカげたものでした...お互い若すぎてワガママだったということでしょうか。私は彼女と別れた後、とても落ち込んでしまいましたが、その時ダスティンは「ある物」で慰めてくれたのです。

 
2000年の12月に、『EverQuest:The Scars of Velious』が発売されました。もしかしたらダスティンは私の失恋話を聞かされ続けた事に、いいかげん疲れてしまったのかもしれません。とにかくダスティンは、このゲームをクリスマスプレゼントとして私にくれました。早速インストールをし、ハーフエルフ・バードのキャラクターをつくりました。その結果、アパートには1日中リビングルームでモニターの光に照らされている二人の男の姿があったのです。

一週間くらいではゲームによる影響はほとんどないものの、約2年の後、ゲームは私の生活において重要なものとなり、その後すぐに、「ゲーム=生活」になったのです。

睡眠中、もしくは職場でなければ、私は『EverQuest』をしていました。しかも最初の頃、私になんだかヘンな事が起こっていました。仕事に行ったはずなのに、『EverQuest』のオーク(敵キャラ)の音が頭の中でするのです。そんな時は目をつむり、頭の中でグレーター・フェイダーク・ゾーンを駆け抜け、ピクシーを殺し、クエストアイテムを交換しているのです。

2001年1月、レッカー車を持った男が職場に来て、私の車を持って行ってしまいました。気付いたら私は車のローンを支払い忘れており、ニッサンは私の車を取り戻すことを決めたのでした。レッカー車が立ち去るのを見た時、私が真っ先に考えた事は、職場から歩く時間がどれだけ私の『EverQuest』の時間を取り上げるのか、という事でした。

私は、FranchiseOpportunities.com という会社に勤め、ウェブサイトの管理・メンテナンスをしていましたが、そこで過ごす時間が増えるほど、仕事中に『EverQuest』仲間と連絡をとっているか、装備や金や経験値を手に入れるヒントをウェブ上で探していたのです。これは、同僚の目を盗んでというわけにはいかず、とうとう2001年2月に、会社のオーナーであるジョセフ・ランスフォード氏より、彼のオフィスに来るよう命じられてしまいました。

これは簡単な決断ではなかったんだよ

と、ランスフォード氏のオフィスへ行き、以前の私について話した時に言われました。

君は素晴らしく賢くて、君が出来ない事なんて何も無かった、と君を見込んだ。そして君はそれを証明していた。しかし仕事への情熱を無くしたようだね。プロジェクトを終わらせるのに時間がかかるようになった上、君の頭の中にその事は無いようだ。もうどうすることもできないようだ。

その時、目から涙が頬をつたわり、自分自身、とても哀れに感じました。私は車も無く、仕事も無くしてしまいました。ジョーが最後の給料が書かれた小切手と、彼の財布にあった120ドルを私に手渡し、途中まで送ってくれました。家までタクシーで帰り、ルームメイト(3つの部屋のあるアパートに引越し、家賃を三分割にしました)にその出来事を話し、自分の部屋へ戻り『EverQuest』を始め、全ての事を忘れたのです。

reSTART internetのディレクターであり「Video Games & Your Kids: How Parents Stay in Control(テレビゲームとあなたの子ども:親がどうやってコントロールするべきか)」の共同著者でもある、ドクターのヒラリー・キャッシュさんによると、内面の問題をゲームでどうにかしようとするのは、現実問題から逃げている共通の「テレビゲーム中毒」の特徴なのだそうです。

まさにこれはテレビゲーム中毒で、またこの中毒はインターネット中毒の一部でもあります。あなたが話したほとんどの事は、典型的な中毒症状で、特にあなたの現実世界が、そのバーチャル世界の中に住む事によって、どんどん縮小されているのです。

ズバリ、それらは私がやっていた事そのものでした。私は、自信があり、タバコを吸い、ワッフルハウスでコーヒーのおかわりを飲み続けながら、友達と一緒にダラダラおしゃべりを楽しむ事が好きな社交的な人間でした。しかし、そのときの私はゲーム上のオンラインの友達とレアモンスターを倒しているか、ギルドのチャットチャンネルで、クラスのバランスを話しているかでした。

外に出るのは、タバコを買いに行くときや飲み物を買うなど必要時のみ。普段はウォルマートで売られている30セントのポットパイや、安い米で生き延びていました。自分に不可欠なものをケアしていましたが、それはかろうじてあるかないか。しばしば、『EverQuest』をしながらコンピューターの目の前でイスに座ったまま寝てしまい、数時間後起きてまたプレイするというサイクルの繰り返し、という日々だったのです。そしていまだに、あの頃の一定の記憶は、自分の中で蜃気楼のようにかすんでおり、力も出ない、やる気のないものでした。母親の方がこれらの記憶を明確に覚えています。

最近になって「マイクはあの時、何をしてもダメでした。」と、母は振り返って言います。「彼と連絡を取る事は出来ず、といっても彼の頼みで買い物をしてあげた以外は。彼に言い聞かせようとした事もありました。あんなに頭も良く、面白い子だったのに。全ては覆われ深い所に隠されてしまったのです。私の話を半分は聞いていましたが、イヤイヤながらで、カンタンな事でもすぐに怒りっぽくなっていたのです。聞きたい事を聞くだけでなく、本当の事を言おうとすると、落ち込んでしまうのです。

...今、母親の話を聞きながら、そこまで状況が悪かったということが信じられませんが、悪い記憶より良い記憶を持つようにしています。エミリーが自分のもとに戻って来てくれた日のように。

 

  • 小さな希望

解雇されてから3ヶ月経った後、エミリーがもう一度だけチャンスをくれました。彼女が以前付き合っていた私と、今から付き合おうとする私は同じではありませんでした。とても痩せ、髪の毛はバカげたほどに長くなっていました。ある夕方、ベッドで一緒に寝ころがっていた時、彼女は私のメタボ腹がなくなったと言い、オカシくなって笑いが止まりませんでした。今でもその平らな腹を保っています。決してダイエットでもなく運動でもありません。栄養失調状態のプライドともいうのでしょうか。

私は、現実生活のウェイトを増やすようになりました。エミリーはある午後、仕事の申し込み書を沢山持ち帰り、それは私のモチベーションを外出や散髪、そして最初の面接が待つ、近所にあるファーストサインズ社に行くことへ繋げてくれました。ここ数ヶ月で、より人間らしく、また生きている心地がし、どうにかその仕事を得る事ができました。自分で、この状況の変わる早さに驚きましたが...それは長く続きはしなかったのです

なんと奇妙な事に、『EverQuest』の仲間が私の事を心配したのです。

あの頃、私はゲーム内の仲間とはほとんど誰とも連絡をとらなくなっていたので、彼らは私のユーモアと情熱が恋しくなったのでしょう。例えば、私のキャラクターであるバードが持つ歌の能力。彼らは私を必要としていたのです。彼らにとって私は重要であり、彼らを悲しませる事はできませんでした。

今振り返れば、あの時、それがどれだけ皮肉な事だったのか、見出すことが出来なかったのが信じられません。だから私は、また『EverQuest』を始めました。はじめのうちはエミリーが家に来れなかった日の夜、しかしすぐにいつものプレイスケジュール、それからすぐ起きているあいだ中にプレイをする日々に戻ったのです。私はいつも仕事に遅れるようになり、最低でも二週間に一回は風邪という電話をし、家でプレイをしたのです。

そして運命の夜がやってきました。

エミリーの人生で、私を1番愛していると言ってくれた彼女が、私のすぐ横にあるベッドにハダカで座り、彼女のもとに来るよう、私に頼み込みましたが、私はその誘いを拒んでいたのです。私はレベル40にとても近く、バードの歌で敵をやっつけている所で、その状況をとても緊急な事態に感じていたのを今でも憶えていますが、そのゴールをはばかろうとしているこの迷惑な女性に対し、とても強引さを感じていました。どうして彼女はこんなに大切な事が理解出来なかったのでしょう? と。

彼女はすごくトライしていました。

私はあの時、ゲーマーと付き合っているんだと解釈し、だからこういう感じなんだと思っていました。あの当時、私はそんなに多くの男の人たちと付き合った経験がなく、自分の兄もこんな感じだったのです。兄さんは働き、家に帰り、テレビゲームで遊ぶ。というものだったので...

と、最近になってエミリーは言いました。8年後、私の彼女への配慮が足らなかったせいで、私たちが思った以上に彼女の体重が増えていったのです。

そして2001年9月末の朝、私は仕事場に電話をし、会社を辞めてしまったのです。これに正当性が当時あったかどうかはまったく関係ありませんでした。辞めた理由は、もう仕事に遅れる言い訳をつくるのにのに疲れてしまい、ただ『EverQuest』をしたかっただけなんです。

エミリーと私の溝は一層深まっていきました。ファーストサインズ社にいた頃、私は自分の妹から中古車を買いました。買う事によって、前の違反切符で運転免許が失効していたため、保険に加入できない事を思い知らされ、無免許運転でドライヴをしなければいけない事になってしまったのです。ですがこの問題を解決するよりも、私は鬱状態に陥ったのです。エミリーに車を渡し、 タグ申請中というプレートを貼りながら運転していましたが、常に私はエミリーと一緒に警察の検問に引っかかり、刑務所に送られる事に怯え、どこにも行けませんでした。それだったら、代わりに家で『EverQuest』をする方がよっぽどマシでした。

2009年まで、最後に彼女を見たのは、彼女の10月初めの誕生日の2日後でした。彼女に運転してもらいパーティーへ行ったのにも関わらず、彼女と一緒にパーティーへ行くことを拒否したのです。その結果、彼女は私に連絡する事なく2日間、車を私から勝手に取り上げました。私は彼女に車と鍵を返すよう言い、自分の前から消えるように言いました。そして彼女は本当にそのようしたのです。

そして...私はただゲームをしているだけでした。

 

  • 新たな始まり

それから月日が流れ、『EverQuest』でノーラスの世界に初めて入ってから1年、私は完全に変わりました。一人の独立した人間から、ひげも剃らず、シャワーも浴びない世捨て人となり、完全に現実世界から消えて行ったのです。かつては大親友だった私のルームメイトは、もし私が仕事を見つけなければ、アパートから追い出すと言いました。しかしそれでも私に仕事をする気力はありませんでした。私が部屋を出るのは、両親の家で食料を探すときか、ガスを止められ、お湯が出ない状態なので、冷水シャワーをちょっとだけ浴びる時くらいでした。

私自身、世界に気づかれずにさまよう幽霊のように感じていたことを今でも覚えています。ですが幸いな事に、母親は私をつねに探してくれていました。「彼はマイクのようではありませんでした。」と母は思い返して言っています。「彼は恐ろしくて、哀れでした。自殺するんじゃないか、ヘンな病気で死ぬんではないかと心配で仕方がありませんでした。実家に戻し、全てのプレッシャーを取り払う事が一番いいクスリになるのではないかと思ったのです。」

そして時が経って2002年の1月1日、28歳の時に私は両親の家に戻りました。それは中毒の治療法としては、そんなにスグ効くものではありませんでしたが。まず家にDSL回線をオーダーするよう両親を説得し、再びオンラインゲームの世界へ戻ろうと思っていたのですが、何かが変わったのです。両親と過ごす機会が増え、小さなコンピューターの中の、小さな人たちが何やら動き回っているのをジッと見つめている時間が減っていきました。私には責任があり、サポートシステムがあったのです。かつてのように底なし沼の中に立っていたのではなく、自分を再出発させるしっかりした基盤があったのです。

それから2ヶ月のうちに、地元のガソリンスタンドで仕事をみつけました。その年の後で、ジョー・ランスフォード氏と再びコンタクトを取り、2003年に再雇用してくれるまで頑張りました。その結果、また仕事、彼女のエミリー、自分のアパート、気兼ねないルームメイトを手に入れる事ができたのです。ちょうどそれは2006年のことで、 ブライアン・クレセンテ編集長からKotakuに自分の事を書かないか、と訊かれた時でした。そして私は承諾し、こうして自分の経験を書いているのです。

自分の問題を『EverQuest』に押し付けるのは簡単であり、社会はそれを受け入れるでしょう。自分は、自身の人生を棒に振るようなゲームのエジキになったと言えますが、そうではないのです。私は隠れていたのです。自分の問題から逃げ、ちゃんと直面していれば簡単に解決出来たかもしれない事を棚に上げ、幻想の世界に隠れていたのです。

唯一言うとすれば、ソニー オンライン エインターテイメントが、あんなにも素晴らしい隠れ場所を創り出した事は罪かもしれませんね。しかし、どれだけゲームをするのかというのは自分の責任です。そして、これを機にコンタクトを取ったソニー オンライン エインターテイメントの広報担当も私の話に賛成しています。

『EverQuest』は単なるゲームです。多くの人は適度に楽しんでおり、ゲームが提供するコミュニティーとの関わりも同様に楽しまれています。どのエンターテイメントでも、個人のプレイヤーがどのくらいゲームをするのかという習慣は自分で管理し、優先順位を決めなくてはいけない、と言っています。私たちはそこまで管理出来ません。

と、ソニーオンライン関係者は言っています。

ヒラリー・キャッシュ医師は、これに賛成しているものの、ゲーム開発者はさらに中毒性を増すものに取り組んでいる、という事を指摘しています。

いくらかの責任は、中毒性のあるものを意識的に開発している開発者にあると思います。これはタバコ産業における問題と似ていますね。タバコ産業も中毒性を増す物をつくっています。もちろん、多く売れば利益を上げる事ができるからです。

とはいえ、どれ位の量を吸うか、プレイするかは各自の責任に委ねられるのです。中にはカジノへ行って、5ドル損して辞める人もいます。自分で辞める限界を知らなくてはいけない、どれだけ賭けるのが危険か、どの程度ギャンブルをするのか自分で判断しなくてはならないのです。

と、私たちがこれを話している間、 キャッシュ医師はゲームとギャンブルの類似点も指摘しました。

MMO中毒の解決法はどちらかというとシンプルでした。かつて仕事の妨げになった習慣を、逆に仕事に精を出させる習慣に変えました。仕事をしていたら、現実逃避ではないのです。もしかしたら自分を騙しているのかもしれません、しかしもし私が、そんなに騙されやすかったら、それを利用するかもしれません。

エミリーはといいますと、今タイピングをしている私の後ろにで『Peggle』をプレイしています。私は彼女にベッドに来て欲しいけれど、次のレベルにいくのが本当に大事なのを、よく知っているんで言えません。

―――――――

 
うーん、現代社会の病ということでしょうか、ここまでハマり過ぎるのは、それだけゲームが魅力的で面白いのでしょうが、かつてのマイク記者のように、これほどまでに進んだテレビゲーム中毒は恐ろしいですね。

ワタシたちみんな、ゲームが大好きですが、時間や生活のマネジメントをしっかりして、どこかでスイッチをオフにしないといけませんね。秋の夜長のゲームもほどほどに。特にMMOでは、決してギネス記録に挑もうなどと思わないように!

 
Mike Fahey(原文/岡本玄介)

 

4048677608
ソードアート・オンライン〈1〉アインクラッド


remote-buy-jp2._V45733929.jpg

 

404867935X
ソードアート・オンライン〈2〉アインクラッド


remote-buy-jp2._V45733929.jpg

 

こちらの記事は、もう読みました?

ネトゲ中毒の治療代は、約138万円也 ネトゲ中毒の若者を救うには、私が行くしかない...! Blizzardの次のMMOは『World of Warcraft』と共存できる?  

兄弟サイトのオススメ記事

powered by newziaコネクト